『母の日』母の日が生まれた背景に隠された情熱と愛 5月の第二日曜日 アンナ・ジャービス
アンナ・ジャービス:母の日が生まれた背景に隠された情熱と愛
母の日は、世界中の家族が感謝の気持ちを伝える特別な日として知られていますが、その誕生にはただの歴史的な出来事以上に、ひとりの女性の情熱と愛情が込められています。その女性の名はアンナ・ジャービス。彼女の母親への深い愛情と感謝の気持ちが、今日の「母の日」を世界的な祝日へと変えたのです。
母親を讃えるために立ち上がった一人の娘
アンナ・ジャービスの母親、アン・リーヴス・ジャービスは、南北戦争中に地域社会で活発に活動していた慈善活動家でした。彼女は特に戦争の影響を受けた家庭や母親たちを支援する活動に尽力し、その情熱が地域の母親たちに感動を与えていました。アン・リーヴスは「母親こそが家庭や社会の基盤であり、最も尊敬されるべき存在である」と信じていました。
しかし、アンが亡くなると、アンナはただその偉大な母親を偲ぶだけでは満足できませんでした。彼女の心には、母親を称えるべき日を作りたいという強い思いが芽生えます。単なる「お葬式の日」ではなく、母親全ての献身と愛を祝う日として、母親たちが尊重される社会を作りたかったのです。
「母の日」の誕生への情熱
1908年、アンナは自分の母親を讃えるために、ウエストバージニア州の教会で初めて「母の日」の記念イベントを開催します。この小さなイベントは、意外にも強い反響を呼びました。アンナはその後、母親の偉業を広めるために尽力し、全国的な運動に発展させることになります。
そして、1914年には第28代アメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンの支持を得て、5月の第2日曜日が「母の日」として正式に認められました。この時、アンナは喜びとともに、母親が亡くなったことを深く惜しみつつも、自分の努力が実を結んだことを感じたのでしょう。
歴史を超えて
アンナ・ジャービスが母の日を創り出した背景には、単なる社会活動家としての側面だけではなく、彼女自身の母親への深い愛情と感謝の気持ちがありました。彼女の運動は、母親たちの地位を高め、家族愛の大切さを再確認させるきっかけとなり、世界中で「母の日」が広まるきっかけを作ったのです。
今日、私たちが母の日に感じる特別な意味は、アンナの情熱的な行動が作り上げたものです。母親を讃えることの大切さは、時代を超えて今もなお私たちの心に響きます。アンナ・ジャービスが遺した遺産は、物質的なプレゼントを超え、愛と感謝の気持ちを表現するための普遍的な日として生き続けています。
商業化への反発のその後の人生
反商業化運動の展開:訴訟と抗議活動
ジャービスは母の日の本来の趣旨を守るため、1920年代以降、様々な手段で反商業化運動を繰り広げました。その主な行動は以下のとおりです。
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法的措置と商標権主張: 母の日創設者として記念日の主導権を取り戻そうと、ジャービスは**「Mother’s Day」の名称や象徴の独占を図りました。彼女は「5月の第2日曜日、母の日」というフレーズに対して早くも著作権を主張し、無断で営利利用する団体や企業に訴訟も辞さない姿勢を示します 。実際に多数の団体・企業が対象となり、訴訟件数は30件以上にも及んだと伝えられています(1944年の『Newsweek』誌によれば33件が係争中だったとのことです) 。またジャービスは白いカーネーションと「Mother’s Day」という言葉の組み合わせを商標登録しようと試みましたが、これは認められませんでした 。業者側も対抗策を講じ、彼女の権利主張を避けるため「Mothers’ Day(複数形の母の日)」**という表記を用いる例もあったといいます 。
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ボイコットの呼びかけ: ジャービスは価格吊り上げなど商業主義的な動きを見せた業界に対し、不買運動も提唱しました。例えば、1922年にはカーネーションの値段を毎年5月につり上げる花業界に対し公開の場でボイコットを呼びかけています 。これに先立つ1920年頃から、彼女は繰り返し人々へ「母の日に贈り物を買う必要はない」と訴えており、贈答用の花束や菓子ではなく庭で摘んだ一輪の花や心のこもった手紙で十分だと強調しました 。
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抗議活動と逮捕事件: ジャービスは各種業界団体の集会やイベントにも自ら乗り込み、直接的な抗議行動を行いました。1923年には小売菓子業者(製菓業界)の大会に押しかけ、母の日を利用した菓子の高額販売に抗議しています 。さらに1925年、愛国婦人団体「アメリカン・ウォー・マザーズ(American War Mothers)」が母の日に白いカーネーションを販売して資金集めをしていた際には、その全国大会会場(フィラデルフィア)に乱入して販売中止を訴えました 。このときジャービスは会場で大声を上げ暴れたため警察に連行され、治安紊乱(ちあんびんらん)の罪で逮捕されています 。彼女にとって、戦没者遺族の母を支援するための慈善活動であっても、「母の日」を利用した金銭のやり取り自体が許せない行為だったのです 。
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有名人・団体への批判: ジャービスの批判の矛先は、営利企業だけでなく母の日を利用する全ての組織に向けられました。たとえ慈善団体であっても「本来の sentimental な目的以外に母の日を使っている」のであれば容赦しませんでした 。例えば、当時のファーストレディーであるエレノア・ルーズベルトが貧しい母親や乳幼児のための慈善募金に母の日を絡めた際には、ジャービスは新聞でルーズベルトを激しく非難しています 。また前述のように**父母両方を祝う「ペアレンツ・デー」**を提唱する動き(ニューヨークの実業家ロバート・スペロによる)に対しても、ジャービスは「母の日」の存在意義が薄れるとして猛反発しました。スペロが1920年代半ばにニューヨークで計画した母の日パレード付きの祝典や「ペアレンツ・デー」集会に対して法的措置も辞さない圧力をかけ、州知事に働きかけてイベント自体を中止に追い込んだこともあります 。
このように、ジャービスはあらゆる方面に徹底抗戦し、母の日の商業化を阻止しようと奔走しました。そのために彼女は自らの巨額の遺産のほとんどを費やすことになり 、周囲から「度を越した執念」と見られるほどの情熱を傾けたのです 。
晩年の闘いと母の日廃止運動
ジャービスは高齢になっても反商業化の信念を曲げることはありませんでした。1930年代後半~1940年代には、自分が生み出した「母の日」そのものを公式行事から削除するよう政府に働きかけるまでになり、事実上**「母の日廃止運動」**を展開します 。彼女は母の日が完全に商業主義に乗っ取られるくらいなら、記念日自体を無くしてしまった方が良いと考えるようになっていたのです 。
衰えを見せ始めたジャービスは、それでも最後の力を振り絞り、公の場でも活動を続けました。1940年代初頭、フィラデルフィア市内で戸別訪問による署名集めを行い、人々に母の日の趣旨転換(廃止)への賛同を求めて歩く彼女の姿が目撃されています 。しかし、彼女の孤独な訴えに耳を傾ける人は次第に減り、晩年のジャービスは世間から距離を置いて隠遁生活を送るようになりました 。視力や聴力も衰え、家には不要な品が積み上がるなど健康面・精神面でも苦しい状況だったと伝えられています 。
最終的にアンナ・ジャービスは1948年、ペンシルベニア州ウェストチェスターのマーシャル・スクエア療養院(精神病院)で84年の生涯を閉じました 。亡くなる時は全財産を使い果たして事実上の無一文であり、自身は子どもを持たなかったため本来祝われる立場の「母親」となることもありませんでした。皮肉なことに、彼女が療養所で過ごした晩年の費用は、かつて痛烈に批判した花業界の有志によってひそかに補助されていたとも言われます(ただし史料によっては真偽不明とされています) 。
歴史的評価と影響
アンナ・ジャービスの反商業化運動は、直接的には成功しませんでした。彼女の必死の抵抗にもかかわらず、母の日は創設者の手を離れて「商業的金鉱」とも評される巨大なイベントへと成長を遂げてしまいます 。ジャービスが危惧した通り、現代では母の日は年間2百億ドル以上もの支出を生み出す一大商戦となり 、クリスマスやバレンタインデーと並ぶ商業イベントとして定着しています 。例えばアメリカではレストラン業界で一年で最も繁忙な日が母の日と言われるほどで 、母の日には多くの人々がカードや花束、贈り物を購入し、外食やレジャーに出かけます。これはまさにジャービスが「本意ではない」と嘆いた姿そのものと言えるでしょう 。
一方で、彼女の徹底した姿勢は現代にも重要な問いかけを残しています。**「母の日を生んだ女性が、その商業化に憤り生涯をかけて闘った」**というエピソードは毎年この時期になるとしばしば紹介され、母の日本来の意義について考え直すきっかけとなっています。ジャービス自身は頑ななまでに商業化を拒み続け、「母の日」からいかなる私益も得ようとしませんでした。実際、彼女は当時業界から持ち掛けられたビジネス上の提案(例えば花の売上に応じたキックバック)も一切受け取らず、「母の日で利益を得るくらいなら亡き母への純粋な敬愛の心を汚す」として生涯を清貧に貫いたのです 。こうした信念に対し、後世の歴史家や関係者からは「容易に金儲けできたはずなのに決してそうしなかった彼女の姿勢は賞賛に値する」という評価もなされています 。
ジャービスの親族たちもまた、彼女の遺志を尊重し、何世代にもわたってあえて母の日を祝わないという形で抗議の意志を示していた時期がありました 。しかし皮肉にも時が経つにつれ、その家族でさえ母の日を受け入れるようになったといいます 。これは母の日という記念日が完全に商業主義に染まった一方で、人々が各々の形で母親への感謝を表すという根本的な目的自体は社会に深く浸透したことを物語っています。現在でも、多くの家庭で母親に感謝の手紙を書いたり、ささやかな贈り物や食事でもてなしたりする習慣が続いているのは、ジャービスが願った「心から母を想う日」という理念が形を変えて生き残っている側面もあると言えるでしょう。
歴史的文脈を踏まえると、アンナ・ジャービスの闘いは20世紀初頭のアメリカにおける商業主義への警鐘の一例でもありました。他の祝祭日(クリスマスやイースター等)も同時期に急速に商業化していく中で、彼女ほど創設者自らが強硬に反対運動を行ったケースは稀です。結果的に母の日は廃止されることなく存続しましたが、ジャービスの訴えは大量消費社会への批判として先駆的な意味を持ち、記念日の在り方について考える上で貴重な教訓を残しました 。現在では、アンナ・ジャービスの悲劇的なまでに純粋な信念と、その**「母の日を憎んだ創設者」**という皮肉な物語自体が、母の日の歴史の一部として後世に語り継がれています 。
最後に、アンナ・ジャービスの生涯から学べることは、記念日の本来の意義を見失わないようにする大切さでしょう。彼女が命がけで守りたかった**「母への感謝の気持ち」は、時代を超えて色あせることなく尊いものであり、現在も母の日を祝う人々に共有されています。その一方で、私たちは彼女の物語を胸に留め、商業主義に流されず真心を込めて母親に感謝を伝える**ことの意義を改めて考えてみる必要があるのかもしれません。
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主要な参考文献・出典
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History.com
「Why the Founder of Mother’s Day Turned Against It」
https://www.history.com/articles/why-the-founder-of-mothers-day-turned-against-it
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BBC News
「Anna Jarvis: The woman who regretted creating Mother’s Day」
https://www.bbc.com/news/stories-52589173
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National Geographic
「Mother’s Day Turns 100: Its Surprisingly Dark History」
https://www.nationalgeographic.com/culture/article/140508-mothers-day-nation-gifts-facts-culture-moms
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Mental Floss
「Why Mother’s Day Founder Anna Jarvis Later Fought to Have the Holiday Abolished」
https://www.mentalfloss.com/article/30659/founder-mothers-day-later-fought-have-it-abolished
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Time Magazine
「The Tenacious Woman Who Helped Deliver Mother’s Day to the U.S.」
https://time.com/3850790/anna-jarvis-mothers-day-origin/
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WJLA (ABC7 News)
「A West Virginia woman started ‘Mother’s Day’, then was arrested for protesting the holiday」
https://wjla.com/news/local/gallery/history-of-mothers-day-american-holiday-2025-gifts-cards-ideas-mom-appreciation-note-flowers-anna-jarvis-civil-war-confederate-union-soldiers-west-virginia-american-women-celebration-kids-national-retail-federation
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The Economic Times (India Times)
「The forgotten origins of Mother’s Day: How a call for maternal solidarity was hijacked by cards, gifts, and chocolate」
https://economictimes.indiatimes.com/magazines/panache/the-forgotten-origins-of-mothers-day-how-a-call-for-maternal-solidarity-was-hijacked-by-cards-gifts-and-chocolate/articleshow/121063748.cms
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note(日本語記事)
「母の日創始者アンナ・ジャービス—信仰に根ざした理想と闘い」
https://note.com/crucifice/n/nf927b0b7311c
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Nobuyuki Kokai(日本語記事)
「アンナ・ジャービスさんが願った母の日」
https://kokai.jp/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9%EF%BC%88anna-jarvis%EF%BC%89%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%8C%E9%A1%98%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%AF%8D%E3%81%AE%E6%97%A5/
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